水戸地方裁判所 昭和28年(ワ)35号 判決 1958年12月25日
原告 近藤きよの
被告 東京電力株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の申立
原告代理人は「被告は原告に対し金五百萬円及びこれに対する昭和二十八年三月十日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告代理人は主文同旨の判決を求めた。
第二、当事者の主張
一、原告の請求原因
(一) 被告会社は電気の供給事業を営む会社で、原告は水戸市松本町二二三〇番地に家屋番号松本町戊四二番木造亜鉛葺二階建住家一棟建坪百十五坪外二階坪十二坪五合及び木造亜鉛葺下家一棟建坪二坪七合(以下本件家屋という)を所有し、旅館業(以前は割烹業)を経営していたものである。そして原告は被告会社から従量契約により送電を受け点灯していたものであつて、前記原告宅の屋内屋外に架設してある電線は被告会社の占有に属するものである。
(二) 而して本件家屋の間取り及び配線状況等は別紙図面並びに同説明書記載の通りであるが、同説明書(1) 記載の二本の不用配電線即ち本件家屋の調理場と炊事場の境の壁より屋根下の東の側面を通じ屋外に突き出しいずれも丸めたまま炊事場トタン屋根の上部に放置されてあつた二本の不用配電線から漏電し、昭和二十七年十月八日朝針金に鉄鎖で繋留しておいた原告の飼犬「メリー」が感電死してしまつた。その際原告方の女中大谷ふみ(当時四十五歳)は、感電し吠え狂う右「メリー」を救助せんとして繋留しておいた鉄鎖に両手をかけた結果感電負傷し、一時気絶したが約一週間臥床して回復した。
(三) 前記事故当日原告は直ちに右漏電の事実を被告会社水戸営業所に通告したので、同日午後三時頃同営業所袴塚派出所の電工大槻七郎外一名が、又翌十月九日午前十二時頃大槻七郎がそれぞれ原告方にやつて来たが、右大槻は同月八日前記不用配電線の修理をなすに当り、右不用配電線を取り外すとか或は絶縁テープをもつて絶縁処理をなし又は漏電するや否や絶縁抵抗試験をなす等電工として危険防止につき充分の注意を払うべき義務がある(電気事業法施行規則第六六条電気工作物規程第一七三条等、昭和二十七年五月十一日改訂被告会社電気供給規程第一部一般規程III の一七保安参照)に拘らずこれを怠り屋内配線の実態を把握せずただ単に前記二本の不用配電線の末端をそれぞれ短く剪除した(剪除した残りの部分がなお両線とも五、六寸あつた)だけで前記の絶縁処理や絶縁抵抗試験もせずに漫然放置したため、同年十一月二十日午前二時頃右不用配電線のうちいずれか一方が炊事場のトタン屋根又は煙突の支線である針金に接触漏電し該炊事場附近から発火して原告所有の本件家屋及び別紙目録記載の備品等動産全部を焼毀してしまつた。
(四) 電気事業の如く特別なる危険を伴う営業において不用配電線を風雨にさらさるる屋外に何等絶縁装置等を施さずトタン屋根、煙突支線の針金に接触する虞れある状態において放置するが如きは漏電を生じ人命財産に危険を発生することを予見し得べきところにして、被告会社の電気工作物の設置又は保存(修理)に重大なる瑕疵ありといわざるを得ない。それ故被告会社は民法第七百十七条によりその瑕疵に基き発生した前記火災により原告の蒙つた財産的損害につきこれを賠償すべき義務がある。
(五) 仮に民法第七百十七条の適用なしとするも本件火災は前記の通り被告会社の被用者である電工大槻七郎が同会社の業務の執行として前記不用配電線の修理をするに当り、重大なる過失によりただ単に二本の不用配電線の末端を短く剪除しただけで放置したため発生するに至つたのであるから、被告会社は使用者として民法第七百十五条に基き本件火災により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
(六) 而して原告は本件火災により本件家屋及び別紙目録記載の動産を全焼しよつてその価格合計金七百九十三萬二百五十円相当の損害を蒙つたから被告会社に対しその内金五百萬円と之に対する本訴状送達の翌日である昭和二十八年三月十日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、被告の答弁
(一) 原告主張の請求原因(一)の事実のうち、本件家屋の屋内に架してある電線が被告会社の占有に属するとの点を否認し、その余の事実は認める。同(二)の事実のうち、本件家屋の間取りが別紙図面記載の通りであることは認めるが、調理場及び炊事場における電灯線の配置等後記被告主張に反する点は争う。その余の事実は全部不知、同(三)の事実のうち本件家屋が原告主張の日時頃火災により焼毀したことは認めるが、右火災が漏電によることその他被告の後記主張に反する部分は全部否認する。同(四)及び(五)の事実はいずれも否認する。なお原告の(五)の民法第七百十五条に基く損害賠償請求は従来の請求(民法第七百十七条に基く損害賠償請求)とその基礎を異にするものであるから、右(五)の新請求の追加に異議がある。同(六)の損害額の点は知らない。
(二) 被告会社水戸営業所袴塚派出所は、昭和二十七年十月八日午後三時頃原告宅の何人か氏名不詳の者から電話で「犬が感電して死んだから来て見て貰いたい」旨の申込を受けたので、直ちに同派出所勤務の電工大槻七郎外一名が原告宅に行き、原告の使用人深谷ふく江から犬の死んだ経過を聴取し配線の模様を調査したところ、炊事場の煙突の支線に同屋上に突き出していた不用配電線が接触する危険を発見した。そしてその不用配電線というのは勝手場(調理室)の天井下に設置してあつた同室の電灯線から更に隣室の炊事場に延長配線したその配線の途中で、しかも勝手場の最後のノツプ碍子から約十糎のところでいずれも分岐し、(+)線はプルスイツチを通り碍管を抜け屋外に出て勝手場の破風に取り付けたカツプ碍子に結着されその先端が約十五糎で切放されてあり、その末端約三糎は被覆が腐蝕脱落していた。又(-)線はプルスイツチを通らずに右(+)線の碍管と並んだ碍管(この両碍管の間隔は二十糎位)を抜け屋外に出て前同様取付のカツプ碍子に結着され、その先端約五糎で切放しになつていたのでこの不用配電線への通電を防止するため右大槻等は前記分岐点際で、(+)(-)両線をそれぞれ切断し、その余の処置について被告会社水戸営業所川崎外線主任の指示を求めた。翌十月九日午前中右川崎主任は大槻に不用配電線全部の撤去を指示したので、大槻は直ちに原告宅に行き不用配電線の結着されてあつたカツプ碍子を取りはずし、屋内の(+)線はプルスイツチの木台と碍管の中間で更に切断し、(-)線は前に切断してあつたまま別に切断の必要もなく、屋上に上り不用配電線を碍管と共に引き抜き全部撤去して該撤去線は原告方の女中に渡して帰つた。従つて右大槻の処置は電気供給者の処置として適切且つ完全で何等の過失はない。
(三) 本件家屋にあつた屋内電灯線は所謂貸付配線ではなく、原告の所有であり且つその占有に属するものであつて、電気供給者である被告会社の占有に属するものではない。屋内に設置された電灯線は、今日の文化社会に於ては家屋の建築に当然に伴う設備で畳建具の類であるから、民法第七百十七条に所謂土地の工作物ではない。
(四) 原告は「本件火災の原因は漏電によるもので、それは被告会社の電工大槻等が十月八、九日なした修理が不完全であつたからである。」と主張するが、若しそうであるならば、その後四十日を経過した本件火災の日までの間に原告方の電灯施設のいずれかの部分に何等かの故障がある筈であるのに、その間何等の故障もなかつたことは原告の主張から明白である。のみならず漏電のため火災を起すについては必ずそこに(+)(-)の接触がありその接触の際安全器のヒユーズが焼散するか電灯の明暗が交互に繰り返えすかの現象がある。然るに本件出火後も原告方の電灯は点灯されていた。以上の点から見て本件火災は漏電による火災とは認められない。なお発火場所が原告主張の炊事場屋根でなく、かえつて失火と認定し得る床面であつたようである。当初火災を知り駈けつけた人の目撃したところによれば、火災の情勢は屋根ではなく床面から発火したものと認められたとのことであつた。
(五) 原告が本件火災を漏電の結果としてその損害賠償を被告会社に請求する法的根拠として列挙するところは、要は、被告会社の保安責任を追求するにあるが、保安責任には自ら限度がある。特に国民の起居の場所である住宅にはその平和権がありこの権利は尊重しなければならないし、且つ限りある電工で無数の需用家の屋内線の良否を検査することは事実上不可能である。されば屋内線について保安責任としては当初給電を開始する際の検査と二年に一回の絶縁抵抗試験があるだけで、その他は特に需用家からの故障害報告のある場合だけである。電気は文化社会の必需物である反面危険を伴うものであるため、その施設については需用家は必ず工事の着手前に被告会社の承認を要することとしている。(被告会社昭和二七、五、一一改訂電気供給規程第一部一般規程19)かくして電気事業者は保安に努めるのであるが、需用家の協力がなくては到底全きを得ないので、ここに需用家の事故防止についての協力が要請されるわけである。(同上規程18)然るに原告は前述十月八、九日の修理後点灯についての故障等何等の報告要請をしないし、又原告が漏電したと主張する電線は原告が訴外磯崎はなから本件家屋を買受けた後に架設した電線であり、発火場所であると主張する炊事場は原告が昭和二十五年五月頃建設したもので炊事場の電灯工事もその際なしたものであるがいずれも被告会社の承認を得ない不当工事であるから、仮に該箇所から漏電したとしてもそれに因る損害については被告会社において賠償の責を負うべきものではない。(同上規程22、)
三、被告の答弁に対する原告の主張
(一) 被告の(二)の主張について、
被告主張の事実のうち、原告の主張に反する部分は全部否認する。尤も炊事場に被告主張のようなプルスイツチがあつたがそれは炊事場の電灯を点滅するものであつて、本件不用配電線とは全然関係のないものである。被告会社の電工大槻外一名は前述の通り昭和二十七年十月八日犬の感電死当日原告方に来て上下二本の本件不用配電線を切断したが、その残りの部分がなお両線とも五、六寸あつたのである。そして翌九日大槻が又来たけれども、ただ見ただけで、両線を撤去しこれを原告方の女中に渡したなどという事実は全然ない。
(二) 被告の(三)の主張について
(イ) 電気工作物はその性質上危険を包蔵し、その取扱には特殊の知識技能を要し法令上の制約もあつて、普通人はこれを畏怖敬遠して不可触視し、事あれば先ず電気事業者の出動に依存するのが常態であるばかりでなく、法令又は契約上需用家は擅に電気工作物を新設変更修理したり又はこれに影響を及ぼすような行為をしてはならないという拘束を受けているのに反し、電気事業者は自家用電気工作物施設規則の適用あるものを除くの外、需用家所有の電気工作物についても保安の責に任じ工事検査、保安検査並びに需用家の行為に対する事前承認等の権限を有しているのであるから、本件屋内配線が仮に原告の所有であつたとしても、社会観念上その事実的支配が被告会社に属し、しかも供電業務並びに保安の責任を負担する被告会社が自己のためにする意思をもつて支配していたものであることは疑を容れない。
(ロ) 本件屋内配線は点灯用の電気を通ずるための設備であつて、それ以外の用途を有せず且つ屋外配電線と不可分的に接続しその延長としてこれと一体をなし、しかも電気の供給を業とする被告会社がこれを占有し、その供電義務の履行とその結果に対する報酬を受けるにつき欠くべからざる施設であるから、その所有が原、被告又は第三者のいずれに属するかを問わず、被告会社の企業施設を構成するものと認めるべきであつて、民法第七百十七条に所謂土地の工作物に該当する。
(三) 被告の(四)の主張について、
(イ) 被告は「漏電が火災を起すについては必ずそこに(+)(-)の接触があり云々」と主張しているが、(+)(-)の接触に因り発生した火災は短絡火災であつて、漏電火災ではなく、被告はこの両者を混同している。又被告火災後も電灯が点灯されてあつたというが、この点も本件火災が漏電による火災であるとする原告の主張と何等矛盾するものではない。漏電火災はヒユーズ、しかも規格通りのヒユーズが焼散しない程度において相当時間電流が大地に漏洩することにより発生する例が多いからである。加之、原告方の開閉器は五個あつたのであるから、仮に一部の配線に短絡を生じたとしても他の配線に直ちに影響を及ぼす筈はなく、従つてどの配線の電灯に点灯されてあつたかを明示せずしてただ漫然出火後の点灯を云々しても無意味である。況んや原告が漏電を主張しているにおいてはなおさらである。
(ロ) 犬の感電死後被告会社の電工大槻の修理は単に不用配電線を短く切断しただけでこれを放置したものであるが、これがため誰も知らぬ間に右不用配電線のうちいずれかの一本が風雨その他の自然力により次第に動いて殊に火災前後の相当強い風によつて煙突の支線又は炊事場の屋根トタンに接触するに至り漏電現象を生じて本件火災発生の原因となつたものである。而して大槻の修理が不完全であることは前述の通りで、その不完全であるが故に上記接触を生じ漏電火災を発生したことは明らかであるが、その修理が不完全でありながらも右接触の生ずるまで格別の故障を感じなかつたとしても も不合理ではない。元来犬の感電死自体が既に不用配電線のうちいずれかが煙突の支線又は屋根トタンに接触し電流が雨樋や犬をつないだ針金並びにくさりと犬の身体を通じて大地に流れることにより生じたものと認める外ないのであるから、大槻が真にその原因を究明したものならば、当然右不用配電線と煙突の支線若しくは屋根トタンの接触 断につき細心の注意を払い徹底した措置を執るべかりしものである。然るに大槻は全くその措置に出ることなく、単に姑息極まる処理をなしただけで絶縁抵抗の試験すらなさず放置したことは正に重大な過失である。
(ハ) その他の被告主張事実は否認する。
(四) 被告の(五)の主張について、
(イ) 被告会社は電気供給規程17の保安責任の限度を勝手に狭く解釈しているようであるが、原告はこれを否認する元来右規程は我国の民度において一般に需用家の電気知識の欠如している現況に鑑み、且つ電気の取扱が一般公安に影響ある点を考慮し、自家用電気工作物施設規則の適用を受くるものを除くの外、たとえ需用家所有の電気工作物と雖もその保安については電気事業者が責に任ずることを特に規定したものであつて、その根拠は公益事業令第三十九条第二項第三号にある。今仮に規程17を被告主張のように勝手に狭く解釈し、その責任を廻避せられるようでは、特にこの規定を設けた趣旨は全く没却せられ、需用家たる者一日も枕を高くして安眼できないであろう。現に右規程は各種の検査、試験、検針、設備の改善撤去等のため被告会社が需用家の土地建物に立入ることあるべきことを予想しているばかりでなく(規程34)被告会社が保安上必要ありと認めたときは特に需用家の承認を要件としないでその負担においてその電気工作物等の設備について検査を行い又はその変更修理撤去、設備の設置を求めることができる旨の規程(規程35)を設けているのであつて、被告が主張するようにその保安責任は単に給電開始の際若しくは二年に一回の絶縁抵抗試験、需用家の故障報告があつた場合に限定さるべき趣旨のものではない。そうあつてこそ却つて需用家の安全を保持しその平和権を尊重する所以なのである。仮に被告のいう通りだとしても本件の場合犬の感電死という事故があり、そのことは原告方から直ちに被告会社に通知しその出動の要請がなされている。これに対し大槻等が来て不完全ながら兎に角一応の措置を講じたにも拘らず、その結果につき絶縁抵抗試験等必要な検査をしなかつたのは明らかなところである。又被告会社は果して二年に一回の試験を励行しているかというに、各地共この試験が行われていないことは周知の事柄であつて、むしろ世間の常識である。すなわちこのことは取りもなおさず被告会社が平素からその責任を怠つている有力な証左である。
凡そ巨大な資本と設備を擁し独占企業として消費大衆に君臨し敢えて言うならばこれを搾取し、しかも国家の保護を受け近くは国有財産を担保としてまで外資の導入を受けんとする程厚遇されながら、一旦漏電火災があれば俄にその保安責任を廻避せんとするが如き被告会社の態度は苟しくも公益の名を冠する事業として少くともその信用を増す所以ではなるまい。況んや被告会社は地方の電気技術者の殆んどをその陣営に網羅し、しかも資格なき一般需用家が電気を取扱うことを法禁している今日、被告会社を除いて果して他の何人が電気施設に関する保安に任ずべきか、言わずして明らかであろう。
(ロ) 被告は昭和二十七年十月八、九日以後原告から故障等何等の報告要請がなかつたから責任がない旨主張するが、元来需用家たる原告に報告義務はなく、ただ電気工作物について保安の責任を負担する被告会社に協力する意味で通知を求められているに過ぎないのであるから、この通知をしなかつたからといつて被告会社の責任が解除せられるものではない。そればかりでなく、原告は本件火災の三日前である同年十一月十七日頃被告会社の工夫五、六名が近所の外線工事に従事しているのを呼び入れて自宅の電灯が危くて困るから見てくれと依頼し修理を申し出ている(この申出に対し工夫等は自分達は係が違うからといつたけれども結局門灯の線を張り替え、且つ十年以上も使用していなかつた表玄関の電灯一個をつくようにして帰つたが、その際も絶縁抵抗の検査はしなかつた。)のであつて、漫然放置していたものではない。元来漏電火災の如きは被害者において事前に自覚なきが常態であつて、被告要請なき故をもつて責任なしとするは供電を業として電気の性状に通暁する被告会社の強弁に過ぎない。
(ハ) 本件家屋は昭和六年秋頃建築されたもので、原告の主張する二本の不用配電線がその当時施設されたものか否かは不明であるが、少くとも原告が昭和二十年六月本件家屋を訴外磯崎はなから買受けた当時既に不用配電線となつて居りその後全然手をつけることなく、その儘の状態で置かれていたのであつて、決して原告が施設したものではない。而して原告が本件家屋を買受けた当時炊事場には既に電灯が一個取りつけられてあつたが、昭和二十五年五月節句の頃原告が炊事場を拡張した際、資格ある電気工事人添田勇次をして右電灯の配電線を少し延ばさせただけで、被告会社の承認を要するような工事は施さなかつた。若し仮にこれらの電線が被告会社の承認を受けないで施設されたものだとするならば、何故原告に対しその撤去或はその変更を求めなかつたのであるか、少くとも大槻が修理に来た際漏電の経路を辿れば、配線の状況は一見して明らかであつた筈である。然るに漫然これを看過したことは大槻の重大な過失であるばかりでなく、被告会社自体もその保安責任を尽したものとは言えない。又規程17に示す需用家の電気工作物についてその施設につき承認の有無は区別されていないから、その有無によつて被告の保安責任の有無を論ずることはできない。被告は規程22のb、cを援用するが、原告は電気施設器具等の使用又は保全について需用家として普通の注意を怠つたことはなく、むしろ普通以上注意した方であり、又規程に違反したこともない。仮に前記不用配電線が被告の承認を受けなかつたものとしても、それは本件家屋の前所有者が施設したものであつて原告が施設したものではないから、これをもつて原告の規程違背行為とは言えない。
以上いずれの点より見るも、被告が損害賠償の免責を受くべき筋合のものではない。加之右規程はその性質上契約上の義務違反すなわち債務不履行に因る損害賠償に適用されるべきものであつて、本件の如き不法行為を理由とする損害賠償に適用さるべきものではない。
四、右に対する被告の陳述
被告の主張に反する原告の主張事実は全部否認する。なお三の(四)の(ロ)の主張については、昭和二十七年十一月十七日頃原告方附近の外線の修理を請負つた関東電気工事株式会社の電工夫に原告方の何人かが玄関前の電灯がつかないとの話があつたのでその工夫は「自分は東京電力の者でないが。」と前置して好意的に該電灯を修理したことはあるが、その他の点については何の話もなく、その時の口吻では単にその場所だけとのことであつたそうである。
第三、証拠方法
一、原告代理人は甲第一号証・第二号証の一、二・第三・第四号証を提出し検第一号、同第三号の一ないし十二の各検証の結果証人山崎庫之助同田添敬蔵同近藤秀夫同鈴木忠雄同田中なつ同岩間義雄同大谷ふみ同小原美代子同中野博同佐川勝義同高橋勇同佐藤末吉同千葉くに子同添田勇次同長山善男同益子賢蔵・鑑定証人前田正武の各証言、原告本人尋問及び現場検証の各結果、鑑定人塚本孝一同末清一の鑑定の結果をそれぞれ援用し、乙第一号証同第二号証の一、二の各成立はいずれも不知、同第三号証の一ないし十一がいずれも本件火災当時撮影した現場の写真であることは認めると述べた。
二、被告代理人は乙第一号証第二号証の一、二・第三号証の一ないし十一を提出し、検第二号の一ないし六・同第四号の各検証の結果、証人竹内直司同羽方輝治同大槻七郎(第一、二回)同川崎嘉種同長山善男同益子賢蔵同磯崎八助同市村勇同平松伸同山野慶造同前田友五郎同古川仙吾同小圷治の各証言・鑑定人前田正武の鑑定及び現場検証の各結果、をそれぞれ援用し、甲第三号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認める。なお乙第三号証の一ないし十一はいずも本件火災当時撮影した現場の写真であると述べた。
理由
原告が水戸市松本町二二三〇番地に原告主張の本件家屋を所有し旅館業を経営していたこと、そして原告は電気の供給事業を営む被告会社から従量契約により送電を受け点灯していたこと、昭和二十七年十一月二十日午前二時頃本件家屋が火災により焼毀したことはいずれも当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果とこれによつて成立を認め得る甲第三号証に徴すれば、右火災により本件家屋内にあつた原告所有の別紙目録記載の備品等動産全部を焼失してしまつたことを認めることができる。
原告は右火災は漏電によつて生じたものであつて、それは被告会社の電工大槻七郎等が十月八、九日なした不用配電線の修理が不完全であつたからであると主張するので、以下この点について考えて見る。
まず本件家屋の間取りが別紙図面記載の通りであつたことは当事者間に争のないところ、成立に争のない甲第二号証の一、二、証人川崎嘉種の証言によつて成立を認め得る乙第一号証同第二号証の一、二・証人磯崎八助同山崎庫之助同中野博同添田勇次同小原美代子同佐川勝義同前田友五郎同長山善男同益子賢蔵同高橋勇同大谷ふみ同近藤秀夫同千葉くに子同鈴木忠雄同大槻七郎(第一回)同川崎嘉種の各証言並びに原告本人尋問の結果(以上のうちいずれも後記採用しない部分を除く)を総合すれば次の事実が認められる。
(一)、本件家屋のうち炊事場及び南側の風呂場、物置を除くその余の部分は訴外磯崎はなが大正十五年頃から昭和四、五年頃に亘つて順次建築並びに建増したものであつて、それを原告が昭和二十年六月頃右磯崎から買い受けたものである。そして右買受当時調理場に接して三尺のさしおろしのコンクリート土間があり、そこを炊事場として使用していたのであるが、昭和二十五年五月頃原告が大工の山崎庫之助に頼んで右土間の部分を一間半位拡張し、後記のような構造の炊事場を増築したものである。(なお南側の風呂場及び物置も原告が右買受後建増したものであるがその日時は明らかでない。)
(二)、昭和二十七年十月八日以前より本件火災に至るまで別紙図面中斜線で囲んだ部分(女中部屋、表玄関、八畳の帳場、内玄関、四畳及び八畳の各居間の部分)は瓦屋根でその他の部分の屋根は全部トタン葺であつたが、そのうち調理場、炊事場及び別棟(十畳、八畳間)に通ずる廊下の屋根の軒先にはこれと接して同図面中斜線で表示した通りトタン製の横の雨樋が架設されてあり、さらにその雨樋には雨水を大地に導くためトタン製の縦の雨樋が同図面中〇印表示の如く四箇所((C)(D)(G)(H)点)取り付けてあつた。そして右縦の雨樋のうち少くとも一部は、その下端は地面に接していた。(なお(D)点のところに取り付けてある縦の雨樋はそれに接近して生立している檜の木に結びつけられてあつた。
(三)、炊事場は木造トタン葺平家建で、その内部は地上三、四寸の高さに杉板で床を張つた上東南隅に高さ一尺長さ六尺巾一尺五寸位の木製トタン張りの炊事台を置き、その裏側ののし板及び炊事台の前方床板にはいずれもトタン板が張つてあつた。そして炊事場の屋根は調理場に接して勾配三寸位のさしおろしとなり、中央にもやを一本打ちその外に二寸位のぬきを一尺間隔で打つた上にトタン板を張つたもので、もと三尺の土間になつていた部分は軒下四尺が平のトタン板、その他の部分はなまこ型のトタン板で葺いてあつた。なお別紙図面表示(A)の箇所において炊事場屋根のトタン板の端を上方に折り曲げ、その部分のトタン板は本屋(八畳居間)廊下軒先の雨樋と接触していた。又炊事場の屋根には高さ五尺位の煙突(昭和二十五年五月増築当時はブリキ製であつたがその後スレート製にした)が突き出てそのなかほどにある帯状の金物(鉄製)に針金を輪にして結びそこから四本の針金の支線を張つてあつたが、そのうちの一本は図面表示(F)附近のもや(調理場の西南側屋根破風のもや)の端のたるきに打ちつけた針に結ばれ、他の三本は炊事場脇の檜の木(前示(D)点の檜の木よりさらに離れた別の檜の木)と前記本屋廊下の軒下のたるきに打ちつけた釘、及び離れの便所の角のたるきにそれぞれ結ばれてあつた。なお右本屋廊下の軒下に結ばれた支線はその軒先の雨樋((B)点)に接触していた。従つて炊事場屋根のトタン板は前示(A)点において本屋廊下軒先の雨樋に、そしてその雨樋は廊下外側の縦の雨樋二箇所((C)及び(H)点)にそれぞれ電気的の連絡があり、又炊事場軒先の雨樋も(D)点の縦の雨樋に電気的に連絡していた。そしてさらに又煙突の針金の支線は(B)点において本屋廊下の軒先の横の雨樋と電気的に連絡していた。
(四)、なお昭和二十七年十月八日当時、図面(C)の箇所において渡り廊下軒下のたるきと前示炊事場南角(D)点に生立する檜の木の間に針金が張られ、その針金には鉄鎖でつないだ原告の飼犬(生後一年足らずの雑種小形の牝犬)が繋留してあつた。(右鉄鎖の端の一環に右の針金が通してあつたので犬は自由に移動できるようになつていた。)そして右針金の一端(C)点の部分は前示渡り廊下軒先の横の雨樋に接触し、又(D)点の部分は檜の木と共にこれに接近していた縦の雨樋をあわせくくられてあつたので、右針金は炊事場トタン屋根又は煙突支線にそれぞれ雨樋を通じて電気的連絡があつた。
(五)、昭和二十七年十月八日当時、本件家屋の調理場と炊事場の境の壁から碍管を通つて二本の不用配電線が屋外に突き出していた(調理場屋根の束の屋内から見て右側の壁から上下に二本に出ていたか、或は右束の左右両側の壁から横に並んで二本出ていたかどうかは暫く措く)が、この不用配電線はもとあつた庭の外灯に配線するため右の箇所から引き出したものであつて、何時切断されたものか不明であるが原告が昭和二十五年五月頃前記炊事場を増築した当時には既に切断されて不用配電線となつており、その後原告において全然手をつけることなく、そのままの状態で置かれていたものである。(この点につき被告は本件不用配電線は原告が本件家屋を買い受けた後に架設したものであると主張するがこれを認めるに足る証拠は何もない。)
(六)、原告が本件家屋を買い受けた当時炊事場(三尺のさしおろしのコンクリート土間)には既に電灯が一箇取りつけられてあつたが、昭和二十五年五月頃原告が前記炊事場を増築した際電気工事人添田勇次の弟に依頼し右電灯の配線を一メートル位延長したものである。
(七)、昭和二十七年十月八日朝六時頃(その前夜は暴風雨であつた)前記不用配電線から漏電(炊事場屋根のトタン板か又は煙突の支線に接触)し、前記雨樋、針金(犬をつなぐため張つておいた針金)及び鉄鎖を伝わつて右鎖に繋留しておいた原告方の前記飼犬が感電して死亡し、さらにこれを救けようとした原告方の女中大谷ふみが右手小指に感電負傷した。
(八)、右当日原告は上京不在中であつたがたまたま原告方に宿泊していた中野博(原告の内縁の夫)の友人某が同日午後二時三十分頃被告会社水戸営業所袴塚派出所に電話で「犬が感電して死んだから来て見て貰いたい」旨申し込んだので、直ちに同派出所の電工大槻七郎外一名が原告方に赴き配線の模様を調査したところ、前記不用配電線が炊事場の煙突の支線等に接触する危険を発見したので之が修理をなした。
(九)、本件火災の時天井と床の部分とのどちらが先に燃えていたかについてはこの点に関する各証人の証言がまちまちであつてそのいずれとも認め難いが、本件家屋のうち調理場炊事場附近が最初に燃えていたこと、従つて本件火災の発火場所は調理場炊事場附近と認められる。そして当日午前二時五分に水戸市第二消防署の望楼から煙の上るのが認められ、その後三十分位で消防作業により鎮火した。なお本件火災前後における現場の風向は北々西で風速は一、九から三、二メートルであり天候は曇天であつた。
以上の各事実が認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。
ところで、本件家屋内の配線状況並びに前記大槻七郎のなした修理について、原告は本件家屋内の配線の状況は別紙図面表示の通りであつて、前記不用配電線は調理場から炊事場に通ずる線とは別に内玄関から四畳の間の天井裏を通じて調理場の鴨居の上に接して二本重なつて い図面(F)の箇所の束(高さ約五寸)の屋内から見て右側の壁から約二寸の間隔をもつて上下両線に分れそれぞれ碍管を通じて屋外に突き出し長さ各二尺位のものが別々に丸めて放置してあつたところ、大槻は十月八日ただ単に右二本の不用配電線の末端をそれぞれ短く(四、五寸位の長さを残して)剪除しただけで放置し他に何等の処置をしなかつた旨主張し、前記証人山崎庫之助同中野博同大谷ふみ同近藤秀夫同千葉くに子及び証人岩間義雄同田中なつの各証言並びに原告本人尋問の結果中には原告の右主張に全部若しくは一部符合する供述部分がある。而して一方これに対し被告は本件不用配電線は調理場の天井下に設置してあつた同室の電灯線からさらに隣りの炊事場に延長配線したその配線の途中でしかも調理場の最後のノツプ碍子から約十糎のところでいずれも分岐し、(+)線はプルスイツチを通り碍管を抜け屋外に出て調理場の破風に取り付けたカツプ碍子に結着されその先端が約十五糎で切放されてありその端が約三糎は被覆が腐蝕脱落していた、又(-)線はプルスイツチを通らずに右(+)線の碍管と並んだ碍管この両碍管の間隔は二十糎位)を抜け屋外に出て前同様取り付けのカツプ碍子に結着されその先端約五糎で切放しになつていたので、大槻は十月八日右不用配電線への通電を防止するため前記分岐点際で(+)(-)両線をそれぞれ切断し、その余の処置について被告会社水戸営業所川崎外線主任の指示を求めたところ、翌十月九日午前中右川崎主任から不用配電線全部の撤去を指示されたので、大槻は直ちに原告方に赴き不用配電線の結着されてあつたカツプ碍子を取りはずし屋内の(+)線はプルスイツチの木台と碍管の中間で切断してから再び屋上に上り不用配電線を碍管と共に引き抜き全部撤去した旨主張し、前記証人大槻七郎(第一、二回)同川崎嘉種の各証言中には被告の右主張に大体添う供述部分があり、又前顕乙第一号証(受付箋)中の処理欄には「煙突支線屋内より引出に接触のため切断取外す」との記載がある。然しながら前示各供述及び記載だけでは(後記認定の点を除き)果して原被告各主張のいずれが真実であつたかにわかに断定し難く、その他本件に顕れた一切の証拠資料によるも遂にその心証を得ることができない。すなわち検第二号の二のプルスイツチ(このプルスイツチは本件火災直後水戸市警察署員が現場検証の際焼夫した本件家屋内調理場内側の焼跡から拾集したものであること証人佐川勝義の証言によつて認められる。)に対する検証の結果によれば、その中央辺の穴から長さ八糎位と一糎半位の二本の裸の電線が出ていて、そのうち長い方の電線は機械的に折れているが、短い方の電線の先端はペンチで切断した如くとがつていることが認められる。従つて該プルスイツチが炊事場又は調理場のいずれの側に取付けられてあつたか又本件不用配電線と関係があつたかどうかは別として、反証のない本件においては、少くも該プルスイツチを通つていた電線は証人大槻七郎の証言する如く十月八日か九日にその一方において一糎半位の箇所で切断されたものと認めなければならない。原告側の前記証人大谷ふみ同近藤秀夫同千葉くに子及び原告本人等はいずれも右プルスイツチは炊事場の電灯を点滅するため炊事場側の鴨居のところに取付けてあつたもので、本件不用配電線とは全然関係がないと供述するけれども、若し炊事場の電灯を点滅するためのものであつたならば少くとも十月十日以後炊事場の電灯は点灯できなかつた筈である。(前示の通り右プルスイツチを通つていた電線はその一方において切断されてあるから。)然るにこの点に関する原告本人の供述によれば同人が十月十一日東京から帰宅した後も炊事場の電灯を点灯使用し別段異状はなかつたとのことであるから、原告の右供述若しくは前記プルスイツチを通つていた電灯線に関する原告側各証人等の供述のいずれかが誤つているということになるわけであるが、毎日使用する炊事場の電灯がつかないまま火災の日まで一か月余も経過したということはにわかに信じられないから、原告本人の供述するように、炊事場の電灯は火災当時まで点滅し得る状態にあつたもので、プルスイツチを通つていた配線は炊事場の電灯の点滅に関係のない線であつた、すなわち右の線に不用配電線であつたと考えられるのである。証人大谷ふみ同千葉くに子同小原みよ子の各証言によれば原告が本件家屋に住むようになつた昭和二十年以来原告方の女中をしている右大谷ふみ千葉くに子は右のプルスイツチを全然使用したことがなく、昭和二十六年以来火災後まで原告方女中をしていた小原みよ子はプルスイツチの存在することすら知らなかつたことが認められるのであつて、このことからすれば、原告方では原告が本件家屋に居住するようになつた昭和二十年以来右プルスイツチを使用していなかつたことを認め得るのである。(証人近藤秀夫の証言及び原告本人の供述中右認定に反する部分は措信できない。)そして若し右プルスイツチが炊事場の電灯の点滅用のものであれば、右のように長く使用せずに放置しておくことは首肯できないのであるから、このことからしても前記認定の誤つていないことが知られるのである。ただし、右プルスイツチのあつた位置については、大槻証人は検第四号の模型のように調理場の内側の鴨居のところに取り付けてあつた旨供述しており、火災後調理場の内側の位置から警察官が拾い出したことは前記認定のとおりであるが、証人大谷ふみ同千業くに子同近藤秀夫及び原告本人はいずれも炊事場にあつたと供述しているし、右の供述によれば炊事場内といつても炊事場と調理場の境のところにあつたというのであるからこのような場合には火災の際それが地上に落下するとき元の位置の真下に落ちず、調理場の方に落ちたためその焼跡から発見されたということもあり得ることを考え合せると、調理場の焼跡から拾い出されたという事実は必ずしもそれが調理場内にあつたということの裏付けとなるわけではない。がそれと同時に前記大谷千葉近藤各証人及び原告本人の供述するところが措信するに足りるかといえば、右プルスイツチは前記のように原告が本件家屋に住むようになつてから全然使用したことのないものと認められるものであつてみれば、右証言供述の信憑性はかなり疑わしいものと思われないでもないのである。証人佐藤末吉は、昭和二十五年頃に原告方の依頼により、調理場の鴨居のところ(別紙図面(F)点のところ)に高さ一尺四、五寸巾七、八寸の荒神様の神棚を作りつけてやつたが、そのあたりにスイツチがあつたことは気づかなかつたと供述しているが、右(F)点のあたりの家屋の構造が原告主張の通りであつたとして、右のような荒神様の神棚とプルスイツチが相共に調理場内に存在したということも必しも不可能なこととは考えられず、右証人がプルスイツチの存在に気づかなかつたという証言も果してそのまま信用し得るかは疑問である。結局右プルスイツチが炊事場内にあつたかそれとも調理場内にあつたかはにわかに断定し難いものといわねばならない。
次に、不用配電線が屋外に出るところの状況がどういう具合になつていたかについて考えてみるに、原告は、内玄関から四畳の間の天井裏を通じて調理場の鴨居の上に接して二本重なつて這い、別紙図面(F)の箇所の束の屋内から見て右側の壁から約二寸の間隔をもつて上下両線に分れそれぞれ碍管を通じて屋外に突き出していたと主張しているが、別紙図面記載の配線関係を見るに、(F)点のところから庭園灯用の電線を引く(前記不用配電線がもとあつた庭園灯に配線するため(F)点のところから引き出したものであることは前に認定した通りである。)のには、調理場内の電灯用の配線から引く方が遙かに近く便利であることが明らかであつて、わざわざ内玄関の方から引くのは不自然であると思われるし、又相当離れたところにある庭園灯用の柱に連絡するのに、単に碍管によつて壁を抜けさせたままで、一旦カツプ碍子に結着することなしに直ちに庭園灯用の柱へ連結するということ(殊に二本の線が上下になつていること)も亦不自然に思われる(証人近藤秀夫同大谷ふみの各証言及び原告本人の供述中右原告主張に照応する部分はこれをそのまま信用し得るやは甚だ疑問である。)むしろ前記不用配電線は、調理場から炊事場の方に通ずる電線から分岐し、そのうち一本はプルスイツチ(それが炊事場の側にあつたか調理場の側にあつたかは別として)を通り、屋外では一旦カツプ碍子に結着され然る上庭園灯に連結してあつたという方が自然なように考えられ、従つてこの点については、むしろ大槻証人のこれと同旨の供述部分の方が措信し得べきものと思われる。そして少くとも右プルスイツチを通つていた不用配電線はプルスイツチに近いところから大槻においてこれを切断したことは前記認定の通りであり、このことと右電線が分岐していたのではないかと思れることから推して他の一本若しくは両線とも大槻証人の証言するように分岐点際で切断されたものではないかと考えられる。然し大槻証人の証言も全面的にこれを措信することにはなお疑問の余地がないわけではなく、特に同人が十月九日不用配電線全部を撤去したという供述については直接これを裏付けるに足る証拠はない。(尤も前顕乙第一号証の受付箋には前記の通り切断取外した旨の記載があるけれどもこの受付箋は大槻において記載したものであること同人の供述によつて認められるから右記載は果して撤去の事実を裏付ける資料となし得るか疑問である。)その上右撤去したという不用配電線のその後の処置について大槻は或は女中に渡したといい或はカマドの附近に置いたといい(以上は本訴提起前警察官の質問に対し述べたものであつて、このことは証人高橋勇の証言と原告本人の供述によつて認められる)又当法廷(第一回)においては裏庭の一隅に置いたと供述し、その言うところ一貫せずすこぶるあいまいであるのに比し、証人田中なつ同大谷ふみ及び原告本人はいずれも十月十日以後も不用配電線が屋外に出ている(その状況の点は別として)のを現認した旨供述しているのであつて、これらを併せ考えると、果して大槻が同人の供述するように前記不用配電線を撤去したかどうか疑問の余地があると考えられる。
右の次第で結局本件家屋の配線の状況並びに大槻のなした修理処置の具体的内容は、前記のように認定し得べきものとした以外の点については原被告各主張のいずれが真実であつたかにわかにこれを断定し難いのであるが、仮に大槻が前記プルスイツチを通る不用配電線又はこれと他の一本の不用配電線を切断したのみで、その切断したものを撤去しなかつたものとして、そこから炊事場の煙突支線、トタン板等を通じ漏電火災を惹起し得べき関係にあつたかどうかについて考えて見るに、鑑定人塚本孝一同末清一の鑑定の結果は、結局本件家屋における配電線が原告主張の通りであつたことを前提として大槻が不用配電線を屋外においてのみ切断し、或は屋内において切断したにしても切断すべき箇所を誤つた場合に原告主張のような漏電火災を惹起し得べき関係にあるというに帰するのであるが配電線が原告主張の通りであつたことは前記のように必しもこれを肯認し得ないものであつてみれば、右鑑定の結果は直ちにこれを採用することができないものというべく、また右の点を暫く措くとしても、本件火災が漏電火災によるものであるという右鑑定人塚本孝一同末清一の鑑定理由の要旨は、本件不用配電線が煙突支線に接触漏電し別紙図面(B)点において本屋廊下軒先の横の雨樋に、そこから図面(A)点において炊事場屋根のトタン板、更に炊事場南角の縦樋(図面(D)点)を通つて接地するという漏電点構成の可能性と検第三号の二、八(各トタン板)にいずれも漏電痕とおぼしき痕跡(熔融痕)が認められるということ等に帰するのであるが、これらの点も鑑定人前田正武の鑑定の結果と対比すれば、なお首肯し得ないものがあるといわねばならない。すなわち検証の結果等によれば右検第三号の二には五つの小孔がありその周囲が鉛色又は灰白色に変色していること、又検第三号の八には二箇の釘孔がありそのうちほぼ中央の孔の周囲は他の部分に比して変色していることがそれぞれ認められるが、鑑定人前田正武の鑑定の結果並びに証人長山善男(警察技官)の証言を総合すれば、右各孔の周辺には電流による熔融痕が認められないし、又右各変色は火災の高熱により孔の周囲に塗料又は亜鉛が融集しこれらが蒸発した際残滓が附着又は附着後剥脱した結果変色したもので電流による過熱のため形成されたものではないことが認められるのである。さらに検第三号の一(太さ二ミリの電線)には各所に亘つて粒子状のぎざぎざができて居り、又同第二号の一(太さ一ミリの電線)にはその所々に変色している部分があることが認められるが、前記前田鑑定人の鑑定の結果に徴すれば、右両電線は一帯に熔融状をなして火焔の高温によつて熔融した状態を呈していることが認められるので短絡その他の電気作用によつて生じたものとは認められない。その他原告援用の検第三号の三ないし七の各トタン板及び同第三号の十一の煙突破片に締付けられてある帯金と支線との接触箇所をそれぞれ検するも電流の通過による過熱又は熔痕跡を認めることができないのである。
尤も、仮に本件家屋のうち調理場及び炊事場内の配線状況並びに大槻のなした修理が前記原告主張の通りであるならば、本件不用配電線のうちいずれか一本((+)線)が風雨その他の自然力によつて煙突の支線又は炊事場屋根のトタン板に接触し、ここから電流が漏洩することのあり得ることは前記前田鑑定人の鑑定の結果に徴してもこれを肯認し得るところであり、そうすれば前示冒頭(二)及び(三)において判示した通りの電気的連絡によつて、右漏洩した電流は煙突の支線、炊事場屋根のトタン板、本屋廊下及び炊事場の各軒先の横樋を通つて結局別紙図面(D)(H)(C)点の三本の縦樋から接地するという漏電現象が生ずることは疑のないところである。然しながら漏電があつたからといつて常に必ず出火に至るものとは限らないのであつて、前記前田鑑定人の鑑定の結果によれば、漏洩電流の侵入点及び之が通過する場所によつて差異があるが、本件家屋の構造が原告主張の如きものであつた場合(普通家屋であるから電圧は一〇〇ボルトと認められる)屋外に突き出した不用配電線のうち(+)線が煙突の支線又は炊事場屋根のトタン板と接触しここから電流が漏洩し屋上のトタン板や雨樋を通つて接地するという状態の下においては、外気の冷却作用と熱の伝導作用によつて温度が低下するので、少くとも五アンペア以上の電流が流れないと過熱による出火は起り得ないことが認められる。而して同鑑定人の鑑定の結果並びに鑑定証人としての同人の供述を総合すれば、右煙突支線、炊事場屋根のトタン板及び雨樋等一連の金属体が水道管に接触している場合には約五アンペア程度の漏洩電流が流れるが、本件家屋においては右一連の金属体が水道管と接触していることが確認できず、最大一アンペア程度の漏洩電流が流れたに過ぎない(前示(七)において判示した犬の感電死の場合は最低十ないし十七ミリアンペア、最大五、六十ミリアンペアの範囲の電流が流れた)ことが認められるから、本件不用配電線からの漏電に関する限り本件火災が原告主張の如き漏電によつて生じたものとは認められないのである。而して本件不用配電線からの漏電以外に他の場所から漏電したという事実については原告の主張しないところである。
以上の次第であつて、結局本件火災が原告主張の如き漏電によつて生じたものであることが認められない以上、これを前提として被告会社に対し損害の賠償を求める原告の本訴請求は他の争点につき判断するまでもなく既にこの点において失当といわなければならない。
よつて原告の本訴請求を棄却することし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 多田貞治 広瀬友信 楠賢二)
説明書
(1) 本件不用配電線は別紙図面に表示した通り内玄関から四畳の間の天井裏を通して調理場(天井板なく化粧天井であつた)の鴨居の上に接して二本重なつて い、図面(F)の箇所の束(高さ約五寸)の屋内から見て右側の壁から約二寸の間隔をもつて上下両線に分れそれぞれ碍管を通じて屋外に突き出し、長さ各約三、四尺のものが別々に丸めてトタン屋根の上部に放置してあつた。
(2) 別紙図面中の斜線で囲まれた部分だけが瓦屋根で、他は全部トタン屋根であつた。そして炊事場のトタン屋根はその入口のところで端を上方に折りまげその部分のトタンと本屋の庇の雨樋(以下雨樋はすべてトタン製のものであつた)と接触していた。(図面(A)点)
(3) 炊事場の煙突の支線は煙突(スレート製)のなかほどを針金を輪にして結び、更にその輪から四本の針金の支線を出してそれぞれ図示の箇所に結びつけてあつたかそのうち一本と犬をつないだ針金の一端とは図面(B)及び(C)点で いずれも本屋の の桁に結びつけられ雨樋の下部と接触していた。
(4) 犬をつないだ針金の他の一端で縦の雨樋を図面(D)点の立木の幹にくくりつけ結んでいた。そして犬は鉄鎖につながれ、その鎖の端の一環に前記針金が通され自由に動けるようになつていた。
(5) 図示の縦の雨樋はいずれもその下端を少し土中に入れ土地に接触していた。
(6) なお本件火災直前の昭和二十七年十一月十九日夜は相当強い風があり曇天であつた。
目録<省略>
図<省略>